time lag

  • 2012年01月31日(火)
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日差しにすこし力が加わって、
春の気配を感じる東京の空。

どんよりとした厚い雪雲に被われた、
雪国の冬の空。

細長い列島からなるこのちいさな国は、
同じ日の同じ時刻にも、
あちらとこちらで、
全く異なった自然の装いをみせています。

毎年、中国の「春節」のころ、
新春のご挨拶状をお出しする私です。

ですから、お正月をとっくに過ぎた、
寒中見舞いのような頃になってしまいます。

決められた日、決められた時間内に、
決められたことをするのは、
<お仕事だけで手一杯>と云う想いがあって、
長年、そんな習慣になってしまいました。

私は『定められた記念日』というのが苦手です。

なんだか異常に緊張してしまって...。
だから、
ちょっと日程をずらした「祝い事」が好きなのです。

「旧正月」や、キリスト教の「復活祭」は、
毎年、日にちが変わりますでしょう?

「来年の旧正月は何月何日かしら?」
「今年の復活祭のミサは何月何日かしら?」

こういう感じが好きなんです!

出来ることならば、
誕生日も結婚記念日も、毎年変われば、
ひとは、月の満ち欠けに敏感になり、
家族や友人の「今年の記念日」が気になって、
花の種類や彩りも年毎に変わり、
お祝いのアイデアもいろいろ浮かんで、
もっと楽しくリラックスして祝える気もするのですが。

もちろん、そんなこと個人的な我がままでしかなく、
世間に通用しないことは判っています。

でもね。

2月に入ってからの新年会や、
11月終わりの忘年会や、
満開にはちょっと早すぎた花見や、
満月が過ぎたあとの月見の宴や
お誕生日の数日前や後の食事会なんて、
好いと思いません?

私生活では、
ちょっとした「タイムラグ(時間のずれ)」が好きです。

そんなわけで、
このところ、ご挨拶状の返信がぽつぽつ届きます。

はがきやお手紙やメールやお電話や...。
懐かしい方々からの優しい言葉に、
嬉しい日々を過ごしています。

<ひとりじゃないんだな...>って。

なん十年も生きてきて、
さまざまなひとびとと触れてきて、
教わったり、一緒に何かを創ったり、闘ったり、
笑ったり、怒ったり、泣いたりしてきて、
今はあまり会えなくなってしまったけれど、
でも、大切な大切なひとたちです。

外の風は冷たいし、日々の暮らしも厳しいし、
自然の脅威も収まりそうにはないけれど、
こゝろの中は、
ポカポカとして、平安でありたいな。

箱根

  • 2012年01月16日(月)
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七草が過ぎ、
お正月気分も落ち着いたころ、
箱根を旅しました。

芦ノ湖畔も静かで、人影もまばら。
箱根神社に参詣するひとの数も、
そう多くはありません。

お正月にひと稼ぎしたからでしょうか、
昼間から扉を閉ざしたお店も幾つかあります。

箱根が、人工的な晴れ着を脱いで、
ちょっと厳しい自然の素顔を見せる季節。

私は、冬の箱根が好きです。

温泉の熱い湯につかると、
肌がピリッと驚いて、そして、嬉しがります。
「骨やすめ」とは、本当に上手く云った言葉。
からだと心の緊張が、お湯の中に解けていくようです。

年末年始、
私なりによく働いたし、
夫は福島原発の取材から戻ったばかりでした。

それぞれのプロの領域に関しては、
多くの言葉は交わしませんが、
互いの疲れ具合は、なんとなく判るつもり。

からだを労りながら、今年も小走りにがんばります。

日本でクリスマスとお正月を過ごした夫は、
やがて、機上のひととなり、
ロンドンへ帰っていきました。

私と云う日本女性と再婚して以来、
この国を撮り続けてきた夫ですが、
いまのこの国の状況を、
写真家としては、
どんなふうに観ているのでしょうね。

なにがあっても慌てず騒がず、秩序正しく、
羊のように大人しく従順な私たち。

立派な国民だと尊敬してくれているのでしょうか。
それとも、
哀しいひとびとだと哀れんでいるのでしょうか。

あまり深刻な話はしないまま、
夫は去り、私は残り、
また、ひとり時間が始まりました。

いつものように、読書タイムがふえます。

この何年か、
司馬遼太郎と藤沢周平に、
読書のほとんどを費やしてきた私ですが、
昨年は、ドストエフスキーの魅力に囚われ、
何作か読破しました。

もちろん、大作の合間には、
宮部みゆきや藤沢周平の傑作が出没し、
いまは「007」が枕元にあります。

やはり、質の高いミステリーは面白いですね。

<今年は、どの作家に入れ揚げようかしら...>
こんなことをぼんやりと考えているときが、
いちばん幸せな時間です。

朝比奈隆さん

  • 2012年01月01日(日)
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あけましておめでとうございます。

新たな年を迎えて、
期待と不安が交錯するのは、
いつものことですが、
一年前の今ごろよりも、
すこし精神が強くなったような気もします。

昨年は哀しいことが重なりましたが、
人間と云うものは、
そうした状況に順応するちからや、
乗り越えていこうとするちからを、
天からいただいているのかもしれません。

昨年の仕事納めは、
NHK大阪放送局からの11時間のFM生放送、
「今日は一日朝比奈隆三昧(ざんまい)」でした。

指揮者の朝比奈隆さんが亡くなったのが、
2001年12月29日でしたので、
没後10年を記念しての特集音楽番組でした。

私が生まれる前、
大阪生まれ大阪育ちの母は、
アサヒコーラスという地元の合唱団に参加していて、
朝比奈さんの指揮で歌ったりしていたようです。

私も大阪音楽大学で声楽を学びましたので、
朝比奈さんと大阪フィルの「第九」では、
合唱団の一員として参加させてもらいました。

そして、大人になってからは、
文化情報の取材でインタビューを頂戴したり、
N響や新日フィルとの共演ステージを、
ラジオで、何度もナビゲートさせていただきました。

今回、11時間と云う生放送のお話を頂いたとき、
自分の集中力と声がもつかどうか、
すこし不安もよぎりましたけれど、
大阪生まれの私には、
やはり朝比奈隆さんは特別の存在です。
<ありがたいことだ。挑戦してみよう!>と、
速やかに心を決めました。

本箱から本を引っぱり出して読み直したり、
忘れていた昔の資料を必死に探したり、
ソーシャルネットワークサービスを通して、
関係者の意見や感想を伺ったり。

周りの方々の知識や情報をも戴きながら、
少しずつ準備をすすめました。

私はゲストのお話を聴く役目ですので、
あれこれ自分から語ることはないのですが、
基本的なことは知っておかないと、
困ることがいろいろとあるのです。

そんな訳で、
年々廻らなくなるポンコツ頭に、
あれこれ詰め込みながら大阪に向いました。

すこし大変でしたけれど、
知識を取り込むと云うのは、
楽しい作業でもありますね。

今回、この長時間番組を終えて、
朝比奈隆さんの人間的な素晴らしさや、
その芸術の「品格」の高さに感動したのは、
私だけではないと思います。

ひとりの芸術家の人生や、
指揮者として残された過去の音源を通して、
音楽そのものだけでなく、
文学や歴史や美学や哲学や、
さまざまなことに想いを馳せることができました。

FMという媒体だからこそ実現できた、
『知的な回遊の時間』とでも申しましょうか。
ほんとうに贅沢で豊潤な音楽時間を、
私自身も過ごさせてもらいました。

朝比奈隆さん指揮の、
ブルックナーやベートーヴェンを聴きながら、
さまざまな記憶が甦ってくるのも不思議でした。

「音楽の力」って凄いですね!

これからも、良い音楽に寄り添いながら、
生きていければと思います。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

師走

  • 2011年12月07日(水)
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師走に入って1週間。
ようやく、からだと心が、
冬の風情に馴染んできました。

私は平常体温が低いので、
風邪を引かないよう、いつも厚着をしています。
それなのに、
夏より冬のほうが、からだは楽なのです。

ピーンと張りつめた冬の冷気や、
乾燥した北風に肌が触れると、
からだがピリッとして、気持ち良くなります。
どうしてなんでしょうね。

師走はまだ入り口。
一年を振り返るのには、少し早いけれど、
後半は、なにやら忙しくなりそうなので、
ここいら辺りでちょっと。

地震、津波、台風...。
今年は、災害の年でした。

多くの尊い命が奪われました。
多くの方々が財産を失い、生活基盤を失い、
人生の目標を失い、生きる歓びを失いました。

避難生活をされている方々の哀しみは、
寒さが厳しさを増すごとに、
深く辛いものになることでしょう。

私のようなものも、すこしでも役立ちたいと、
チャリティコンサートの司会をしたり、
写真家の夫と被災地を取材し海外に発信したり、
ささやかながら動いてきました。

でも、ほんとうに無力です。

日常生活では、
いつものように音楽を聴き、音楽を伝え、
音楽家に触れる日々が戻って来ました。

放射能汚染の影響で、
音楽の世界もキャンセルが続き、
なかなか大変な日々でしたけれど、
徐々に落ち着きを取り戻しつつあります。

私は、政治にも経済にも疎い人間です。
でも。
音楽の世界だけを通して見ていても、
今回の原発事故の深刻さは明らかでした。

著名な外国人演奏家の誰も彼もがキャンセルし、
日本に来てくれなかったのです。

「安全だ!」と云う情報を信じていいのだろうか。
この国の言うことを信じていいのだろうか。

日本人はお人好しで優しい国民です。
その、お人好しで優しいひとびとを、
どうか騙さないでほしい。

ようやく、日常を取り戻しつつある、
音楽世界の動向を通して、
この国の有り様を見つめながら、
今も、そう思っています。

さて。
今年、私は還暦になりました。
孫も生まれて、おばあちゃんになりました。

震災直後にこの世に生を受けた幼子。
この子の未来に光がありますように。
幸せがありますように。
笑いに満ちた日々の暮らしがありますように。

おばあちゃんの祈りです。

10歳のとき、
大阪放送児童劇団の子役として、
ラジオのマイクロフォンの前で作文を読み、
放送の世界に触れてから、50年。

ラジオからテレビに、そしてまた、ラジオに。
モノクロからカラーに、アナログからデジタルに。

この驚異的な放送技術の進化を、
ひとりの出演者として、
メディアの一隅で体感し続けることが出来たのは、
本当に幸せだと思います。

そして、これはひとえに、
両親からもらった健康な身体と、
支えてくださった皆様のお優しさのお蔭だと思っています。

まあ、どこまで歩いていけるのか、
さっぱり分かりませんけれど。
なんだか、もうすこしは頑張れそうな気がするのです。

若いころより、
ちょっとは上手になったような気もして...。

私は、ほんとうに不器用な人間です。

でも、亡くなった母がこう言ってくれました。
「美也ちゃんは、不器用やけど、一所懸命がんばる。
だから、何年か経つと必ずモノにして、プロになってる」。

母も親バカですね。

十代の終わりに大阪から東京に出て来て、
今は、ロンドンとも往来するようになりました。

大阪弁から東京弁に、そして英語の生活に。

でも、私の原点は、
細い路地が幾つも交差する大阪の下町。
まだ貧しかった昭和の子供たちの世界。
そこに在ります。

そこから、どこまで行けるのか。
ゆっくりですけれど、
諦めずに歩いて行きたい。

そして、
すこしでも世の中の役に立ちたい。
そう思っています。

「まっかな秋に」

  • 2011年11月23日(水)
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この秋は静かですね...。

木の葉も真紅に染まり、
樹の実もなっている筈なのに、
騒がしい声は聴こえてきません。

秋祭の笛や太鼓の音も、
風や波の音にかき消されてしまったかのよう。

東京はひとの数が多いから、
なにやら、ざわついてはいるけれど、
それだって、ヒュウとでも風が吹けば、
みな、からだを屈めて黙ってしまう。

あの春の日から、暑い夏を越えて、
いま、秋の日が過ぎ去ろうとしています。

からだもこゝろも、
弾んでみたり、はしゃいでみたりするけれど、
なんだか長続きしなくて、
そのうち、
小さなため息ついて、黙ってしまいます。

きっと、疲れてるんだよね、
わたしたち。
日本人は、いま、疲れてるんだと思います。

そんなときは、
無理しないで、黙ってりゃいいんですよね、
きっと。

ちょっと腰掛けて、
ちょっとうな垂れて、
ちょっと眼をつむって。

静かに呼吸して。

眠ってみる。
それが駄目なら、
眠ったふりしてみる。

しばらく、そのまんま。

それで。
すこし気持ちが軽くなったかなって、
思えるようになったら、
座ったまんま、
かるーく肩でも動かしてみて、
足首なんか回してみて、
鼻から吸った息を、口からフーッと吐いてみたり。

しばらく、そうしていて、
大丈夫かなって思ったら、
静かに立ち上がってみる。

ちょっと屈伸してみたり、
伸びをしてみたり。

それで、ゆっくり歩き出す。

そのころ、
もう春の花が咲いてたって、
そんなこと、どうでも、いいじゃない。

生きていくことのほうが、
大事なんだから。

京都の秋

  • 2011年11月04日(金)
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しばらくぶりに京都を旅しました。
ほんのりと色づいた紅葉の姿が可憐です。

京都の町並みはいつもと変わらず、
秋の観光シーズンを迎えて、
客寄せの声が、街の其処此処から響きます。

ほんの1週間前。
写真家の夫と私は、東北の被災地を半年ぶりに訪れました。

震災直後の春先。
被災地には、地震と津波の残した爪痕が、
まだ恐ろしいほど鮮明に残されていました。

10日間の取材を終えて、自宅に戻った後、
私は睡眠がとれなくなり、
心が半分壊れたような日々を数ヶ月送りました。

それでも半年後に、再び、夫に同行を乞われたとき、
やはり行ってみようと思いました。
ひとは自分のからだで体験しないと、
本質的なところが理解出来ないからです。

秋を迎えた岩手や宮城の被災地は、
津波で破壊された家屋の解体や撤去が進み、
瓦礫をクレーンなどで分別する作業に入っていました。
あちらこちらに瓦礫の山が築かれています。

かつて、
三陸の風情ある町並みが続いた辺りは、
家の土台だけを残したまま、
ボウボウとした夏草に覆われ、
殺伐とした光景を晒しています。

ここには、
ひとびとの活気に溢れた生活があり、
子供たちの声や、漁師の呼び声や、
商人や主婦や、さまざまな人間の声が、
飛び交い響いていた筈なのに。

ひとの気配が掻き消えてしまったのです。

春先には、
自衛隊などの大型車両が行き交い、
自衛隊員や消防士たちが必死に活動していました。
今は、
警察車両と大型作業車や運搬車ばかりが目立ちます。

あとは、
人間の営みが失せてしまった海岸線を、
獰猛な顔つきになった海鳥やカラスが、
大声を上げて乱暴に飛び回っています。

犬の姿はみえません。
ときおり、
引き攣れたような表情の痩せ猫が、
ヨタヨタと出てきて、ものを吐いています。
なにを口にして生きてきたのかしら。

三陸の海は、今は静かに、
美しい姿を取り戻しています。
きっと、いつもそうだったように。

被災地は、まもなく冬を迎えます。
震災後、はじめての冬。
きっと辛い季節になるのでしょうね...。

やはり無念さを感ずる哀しい旅となりました。

次の取材地に飛び立つ夫を見送ったあと、
私は京都に向いました。

古い京都の街に触れたかったのです。

そこに在るべき寺社が、
何百年も変わらず在るべき処にあり、
いつもの宿にいつもの女将さんが
待っていてくれることの嬉しさ。

鴨川沿いの小さな定宿で、
幼かったころ訪れた祖父母の家のような、
古い日本家屋の匂いに包まれて、
一晩ぐっすりと眠りました。

懐かしさに抱かれた静かな一夜でした。

「品格」

  • 2011年09月26日(月)
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「暑い暑い!」を連呼していたはずなのに、
ある朝、気付くと、
湯気の立つマグカップを手にしている私がいます。

行きつ戻りつしながらも、
季節の回り舞台は、
着実に次のシーンへ転換していきます。

この最後のどんでん返しに乗り遅れ、
つんのめったり、尻餅をついたりして、
こゝろとからだのバランスを崩してしまうのが、
季節の変わり目、常のこと。

同じことの繰り返しに、
<ああ、また来たか....>と、苦笑いするほかありません。

拭き掃除を始めてみたり、箪笥を整理してみたり、
鍋やシンクを磨いてみたり。

無心に手足を動かし、
ちょっと汗ばんで、フウッと息を吐く。
すると、
こゝろとからだがすこし軽くなっている感じ。

どうしてだかわからないけれど。

さて。

9月のN響定期公演は、
ヘルベルト・ブロムシュテットさんを指揮者に迎え、
秋の音楽シーズンをスタートさせました。

84歳のマエストロは、
稽古が厳しく、「諦める」ということがありません。
気になるところ、気に入らないところは、
納得できるまで繰り返し練習されます。

この徹底した指導は、
楽団員にとって、苦痛なこともあるようです。
たとえば管楽器奏者などは、練習のし過ぎで、
良好な唇を保つのが、難しくなることさえあるとか。

しかし、
その修練の成果として紡ぎ出される音楽の美しいこと!
輪郭のクッキリとした、
重量感のあるオーケストラサウンドが、
聴衆をスッポリと包み込んでくれるのです。

そして、
そこにある超然とした「品格」。

どの演奏にも、
消えることなく存在する「品格」。

「品格」って、一体なんなのでしょう。

今月、東京では、
国立劇場文楽公演があり、大いに楽しみましたが、
その客席でも、私は、同じことを考えていました。

人形浄瑠璃の七世・竹本住大夫さんは、87歳。
「わては悪声だんねん」がご本人の口癖です。

住大夫(すみたゆう)さんは、
「元甲子園球児」で、近畿大学卒業後、
文楽の世界に入り、辛い修業時代や、
文楽界の分裂期・衰退期など、
さまざまな苦労を重ねつつも、語り続けて来られました。
平成元年には、人間国宝になられています。

今回の文楽公演は、
国立劇場開場45周年を祝い、
大変お目出度い「寿式三番叟」で幕を開けました。

住大夫さんは「翁」役で、
記念公演にぴったりの華やかな幕開きとなりました。
が、初っ端の演目に出演されると、
もうお終いで、あとの出番はありません。

もちろん文楽公演の演目は、
昼夜、あれこれ延々と続きますが、
<出番を終えた住大夫さんは、
舞台はもとより、楽屋も出られて、
もう劇場にはいらっしゃらないのだ>と思うと、
なんとなく、こゝろ淋しいのです。

文楽には、箕助さんや勘十郎さんなど、
素晴らしい人形遣もいますし、
大夫も三味線も、若手からベテランまで、
優れた方々が順に現れ、熱演されるのですが、
それでも、なんとも口淋しい感じが拭えないのです。

どうしてなんでしょうね...。

いつものことですが、
住大夫さんが舞台に現れると、
劇場の舞台にも客席にも、ピーンとした緊張が走ります。
そして一瞬にして舞台が華やぎます。
拍手も一段と大きく、
「待ってました!」の掛け声がかかることもあります。

野澤錦糸の三味線の音が流れ、
住大夫さんの深みのある渋い声が発せられる瞬間を、
観客はドキドキしながら静かに待っています。


そして浄瑠璃語りが始まると、
からだが溶けるような感じになって、
母に抱かれた幼子のような幸福感に満たされるのです。

『芸の力』の凄さでしょうか。
不思議な陶酔感です。

そんな訳で、今回は文楽公演だけではもの足らず、
トークショーやら、素浄瑠璃の会やら、
住大夫さんの追っかけを致しました。

そこでは、いわゆる『芸談』が語られ、
なかなか興味深いお話を聴くことが出来ました。

息の使い方、声の響かせ方、表現の抑制など、
どれだけ考え抜き、どれだけ修練を重ねて、
舞台に立っていらっしゃるかがよく分かり、
大変勉強にもなりました。

「かつては、
芸を仕込み叱ってくれる師匠がいたが、
今は自分より上がいなくなってしまって、
昔の録音テープを聴いて、反省し研究している」。

「字のないところをどう語るか...」。
「奥の深い世界に入ってしまいました...」と、
『人間国宝』は、ため息まじりにおっしゃいます。

秋の始めに、
幸いにも、ふたりの巨匠に触れて、
さまざまなことを感じ考えました。

ブロムシュテットさんも、住大夫さんも、
いずれも偉ぶるところのない自然体の教養人。
そして、プロフェッショナルです。

自分自身の生き方には厳しく、
同じ世界を歩む後継者への指導も厳しくなさいます。

「最後は人間だすな」と、
住大夫さんは言います。

それはご自身への諌めの言葉でもあるのでしょう。

けれど、「品格」というものの、
根源に位置するもののようにも思え、
またまた考え込んでしまいました。

「カラマーゾフの兄弟」

  • 2011年09月03日(土)
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9月に入り、新内閣もスタート。
台風さなかの週末とは言え、
新たなシーズンが始まった感があります。

ほんの半月前まで、
ロンドンでのんびり過ごしていたことが、
まるで嘘のようです。
あの空の色も雲のかたちも、
朝夕の小鳥の声も、風のそよぎも...
なにもかも、もう遠い昔のことのよう。

いつものように、
自分の部屋で、自分のパソコンに向い、
静かな時間を過ごしています。

この夏、幾つか小旅行をしたり、
音楽会や絵画展にも足を運びましたが、
最も達成感のあったことは何か?と問われれば、
答えは、「カラマーゾフの兄弟」を読んだことでしょうか。

ドストエフスキーなんて作家は、
私にとって、遠い遠い世界のひとでした。

そもそも、
ドストエフスキーやトルストイの長編などは、
学生時代に読んでおくべきものでしょう?

でも学生時代、
私のように音楽学校で学んだ人間は、
電車のなかでも楽譜を見ていたり、
夜は夜で、一日のレッスンに疲れ果て、
読書する余力もなく寝てしてしまうという有様でした。
それに、私は学生でありながら、
メディアでフルタイムの仕事をしていましたし。

それが言い訳になるかどうかは別にして、
とにかく、一冊も読んでいなかったのです。
トルストイの「戦争と平和」には挑戦しましたが、
早々に投げ出したという経緯もあります。

ところが、この夏の始めのこと。
テレビを観ていましたら、
東京外語大学長の亀山郁夫さんが出ていて、
自身が翻訳した「罪と罰」や「カラマーゾフの兄弟」の、
エピソードやドストエフスキーについて語っていました。

亀山郁夫さんは、
ロシア語の翻訳家であるだけでなく、
学者として多くの研究を重ねてこられた様子で、
歴史的な考察はもとより、
「罪と罰」のラスコーリニコフの名前の由来など、
なかなか面白い内容でした。

最も興味をもったのは、
スターリン体制下における知識人弾圧については、
世界的によく知られているが、
革命以前の皇帝支配下における思想弾圧については、
あまり語られていないというお話でした。

そして、ドストエフスキーも若き日、
その発言が、皇帝の怒りに触れ、
死刑判決が下され、後に軽減されて、
8年間もシベリアに送られていたそうです。

その後、作家としての生活が許され、
社会的地位も上がって行ったのですが、
彼の行動や発言は人生最後の最後まで、
秘密警察に監視され、
手紙なども検閲されていたと云うのです。

作曲家のショスタコービッチが、
音楽という抽象芸術の世界でさえ、
スターリンに粛正されないように、
ダブルミーニング的な交響曲を書いたのは有名です。

文学となると、もっと複雑なのでしょうね。
ドストエフスキーの作品も複雑な構造を持っている、
と言うようなお話でした。

「なんか、面白そうだな」と思った私は、
早速、文庫本を買い求めました。

「カラマーゾフの兄弟」は、
四部とエピローグからなる長編ですが、
ベートーヴェンの交響曲を彷彿とさせるような構成です。

そのことは、訳者の亀山さんも解説に書いています。
第1部はアレグロ・コンブリオ(早くいきいきと)。
第2部はアダージョ(ゆっくりと)。
第3部はスケルツォ(諧謔的に)。
第4部はモデラート・マエストーゾ(ほどよい早さで厳かに)。
エピローグは、言わば「第九」の第4楽章「合唱」のコーダの部分。

第1部は登場人物の紹介編で、どんどん読み進みました。
第2部は「神」の存在を巡る論争で、言葉が多くて深刻です。
でも、いま振り返ると最も面白い部分だったかも知れません。
第3部は「父親殺し」の大波乱でハラハラドキドキ。
第4部は裁判を巡る大どんでん返しのドラマ。
そして、次作に繋がる筈だった「エピローグ」...。

久々に『読んだ!』という実感の湧いた小説でした。
「文学的ミステリー」と言ってもいいかもしれません。

私は、青春期の読書チャンスは逃しましたが、
負け惜しみでなく、この年齢で読めて良かったなと思います。

宗教のこと、人生のこと、
男女や親子の情愛や愛憎、
人間が本質的にもつ傲慢さや偏見や差別や...。

良いことも悪いことも。
さまざまな経験を重ねてきた年齢だから、
理解出来ることも多くあったような気もしました。

名作には、「期限」や「旬」なんてものはなくて、
その気になったときに、どんな本でも手に取ってみる。
そして読み始めてみる。
それで良いのかもしれませんね。

Jet lag

  • 2011年08月19日(金)
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ロンドンから戻って数日が経ちました。

何時ものことですが、最初の2日間はとても元気。

3日目か4日目に、時差の凄い揺り戻しが来て、
そこで踏ん張ればいいのですが、
私はそんなことで頑張るのは嫌なので、
眠いときに眠ってしまい、
そんなわけで、いつも時差調整に失敗して、
いまも、ぼんやりとしたアタマで暮らしています。

ロンドンと東京の夏の時差は8時間ですが、
今のところ、カブール(4.5時間)あたりまで、
時差修正できたでしょうか。

この後、1週間くらいかけて、
デリー(3.5時間)、ヤンゴン(2.5時間)と短縮して、
北京までくれば、たったの1時間差。

そんなふうに楽しみながら、
自分のからだと付き合っています。

時差って、睡眠時間のことだけじゃないんです。
からだの循環のペースを変える訳ですから、
胃液やホルモンの分泌だとか、
内臓の機能時刻を修正する訳ですものね。

今回は7週間も滞在しましたから、
無理しても、また揺り戻しが来るばかりです。

さて。
もうすでに思い出になってしまった夏のロンドン。
あちらでは、夫の息子たちや、親類や、
付き合いの長い彼の友人や仕事仲間と、
食事に招いたり招かれたりして、
交流のときを楽しみました。

英国人の夫と出会い、
さまざまなひとびとに引き合わされた十数年前。

にこにこ微笑みながら、彼らの会話を聴くものの、
話の内容の20%も判らなかった私です。

でも、それくらい判らないと、
それはそれで無責任でいられるのですが、
この頃は大変込み入った話も、
半分くらいは理解出来るようになりました。

そうなると却ってシンドイこともあるのです。

だって、もっと知りたいと思うでしょう?
あの単語さえ知っていれば判ったのに...。

そんなわけで、お客様と別れた後、
夫に矢継ぎ早の質問を浴びせることになるんです。

夫も、はじめは丁寧に答えてくれますが、
だんだん面倒になって来ると、
いい加減な受け答えをするようになって...。
それで、ちょっとケンカしたりとか。

まあ、国際結婚というのは、
いろいろ面倒なことがあります。

でも、自分流に理解したつもりで、
実は、誤解していることがあって、
それが怖いんです。

自動車運転なども、
すこし慣れてきた頃が危ないって言いますが、
語学もそうですね。

自分流に間違って理解して、
後で面倒なことになったり、恥をかいたり。

だから、笑われようが、
煙たがられようが、面倒がられようが、
食いついて、質問し続けるしかないんです。

その点、母国語は楽ですね。
台所で食器を洗いながら、背中で聴いていても、
ニュースも解説もドラマも全て分かるし、
なにもかも完璧に理解出来ますから。

ただ。
この国はとても内向きになりましたね。
震災後、原発事故後、
ますます内向きになったような気が、
背中で聴くニュースからも感じられて、
すこし気になります。

中東やアフリカの動きは、
民主革命の美談のようでありますが、
イスラム原理主義の伸張のようでもあります。

欧米各国の 暴動やテロ防止のための、
移民政策の保守化も気になります。
キリスト教原理主義の芽生えでしょうか。

世界的な経済不安も重なり、
前の世界大戦前夜の様相と似てきたような気もします。

外交が大事なときかもしれません。
欧米はもとより、
もっとアジアの国々とも連携すべき時なのに。

母国で見聞する情報に、
この国の機能不全と引きこもりを実感して、
心もとなさを感じてしまうのは、
私だけではないと思います。

Wales

  • 2011年08月10日(水)
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英国での長い夏休みが、
まもなく終わろうとしています。

いつものことですが、私の帰国が近づくと、
英国人の夫の機嫌がすこし悪くなります。

一緒に過ごす「our time」の楽しさと、
ひとり時間「my time」の気楽さ。
そして、
ちょっと気になる「your time」。

こんなことを繰り返しながら、
先日、12年目の結婚記念日を迎えました。

まあ、私たちはともに中年再婚組ですから、
あまり贅沢は言えませんが、
健康であれば、「銀婚式」は経験してみたいかな。
さてさて。

この夏、パリへの旅の後、
ふたつの小さな旅を楽しみました。

ひとつは、ウェールズへの旅です。
英国は、イングランド、ウェールズ、スコットランド、
そして、北アイルランドで構成されています。

面白いことに、
最も独立意識が高いスコットランドは、
オリジナルのスコットランド語には、
あまり執着しない様子です。

ウェールズは、
スコットランドのように独立自治を声高に叫びませんが、
80年代からウェールズ語を取り戻そうと、
学校教育の中にオリジナル言語教育を取り入れています。

ですから、道路標識や看板や案内板や、
すべてに英語とウェールズ語の表記がなされています。
そして、これが、
なかなか読みにくいんです。

私たちはウェールズ西海岸の Aberystwythに、
数日間滞在しました。
子音ばかりが続くので、読み方が難しいのですが、
仮に「アベリストゥウィス」とでもしましょうか。

アイルランドとのあいだの海峡、
その向こうは大西洋という、
美しい海岸線をもつ小さな町です。

ここには、ウェールズを代表する図書館や大学、
大小の劇場とギャラリーをもつ芸術センターがあります。

そして、
蒸気機関車が走る鉄道があるんです!
1920年代製のこじんまりした綺麗なスティームトレインは、
「GREAT WESTERN」号と「PRINCE of WALES」号。
見事にリノベーションされて、毎日、運行しています。

私も、往復3時間の列車の旅を満喫しました。

ウェールズは景色が美しいことで知られますが、
緑濃い渓谷が続き、
青空には翼を大きく広げた鷹が舞い、
牧草地では牛馬が草を食み、
豪壮な滝があり、歴史的な石橋があり、 「ポッポー」という汽笛の音と共に、
まさに、夢心地の蒸気機関車の旅でした。

さて。
ウェールズからの帰り道、ロンドンとの中間の、
Great Malvernという小さな町に一泊しました。

翌朝、町を散歩していたら、噴水の側に、
『どこかで見たことある』紳士の銅像が立っています。
<誰かしら>と、ゆっくりと近づいてみたら、
なんと!作曲家のエルガーでした。

生家もすぐ近くで、いまは小さな博物館になっています。
彼と夫人のひととなりを知る良い機会になりました。

その後、やはりロンドン寄りの、
ウースター大聖堂に寄りましたら、
そこには、若きエルガーが弾いていたと云う、
パイプオルガンがありました。

教会のボランティアのおじいさんは、
こんなふうに話してくれました。

エルガー自身は、ローマカトリックでしたが、
カトリック教会でパイプオルガンを弾き終わると、
一目散にハイストリートを駆けて来て、
英国国教会のウースター大聖堂に飛び込み、
今度は、こちらのパイプオルガンも弾いたとか。

カトリックとプロテスタント、
両宗派のオルガニストを兼務するなんて、
「天才」だからこそ許されることでしょうね。

これも偶然の出会いでしたが、
エルガーのひととなりに触れる、嬉しいときでした。

さて、
もうひとつの旅は、ケントへの旅でした。

そのことは、またご報告したいと思いますが、
先週末をケントで過ごし、
古城巡りなどを楽しんで戻ってきたら、
ロンドンは『暴動』事件で大混乱です。

黒人青年を警官が射殺したことへの、
抗議行動が発端の『暴動』でしたが、
今では、不良少年たちが、
夜ごと、街なかで破壊と放火を繰り返す、
恐ろしい事態になっています。

首相もイタリアでの休暇を切り上げて帰国し、
対応に追われていますし、今夜からは、
1600名の警察官を動員しての警戒体制をとるとか。

「ロンドンミックス」の名のとおり、
ここは人種や宗教の坩堝で、
さまざまな言語が飛び交い、
さまざまな価値観が同居するユニークな国際都市です。

とは言え、現実には、
人種差別や、教育水準、収入の格差、
そして、深刻で長い不景気など、
多くの根深い社会問題を抱えていますから、
この収拾には時間がかかるかもしれません。

オリンピックを前に、道路や街並が整備されて、
明るく綺麗になりつつあるのに残念です。

社会福祉にそうそうお金をかけられない財政状況は、
日本の現状とも共通します。

この深刻な事態の一因には、
ライフスタイルが多様化するなかでの、
「家庭崩壊」もあるのではないでしょうか。